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ジャニス・ジョプリンから学ぶ人生論と名曲を振り返る「個性の表現が自分を創る」

 

個性を貫き、ありのままを表現する。人と違うからこそ、新たな創造ができる。

私がJanis joplin(ジャニス・ジョプリン)から感じたことです。

ありのままの個性を表現し、ヒッピーが流行った当時でもでも独特なファッションに身を包む。女性では珍しくしゃがれた声で歌い、ロックの新境地を開拓しました。

そんなジャニス・ジョプリンから、個性を表現することがどのように周りに影響していくのか見ていきましょう。

多大な影響を及ぼした偉大なシンガー

人種差別やベトナム戦争、アメリカが政治的にも文化的にも大きく揺れた60年代。ラブアンドピースを掲げるヒッピー文化を象徴するブルースシンガーがJanis Joplin(ジャニス・ジョプリン)です。

圧倒的な歌唱力ボヘミアンファッションに身を包んだロックを代表する最初の女性シンガーといっても過言ではないかもしれません。

ジャニス・ジョプリンは後世のシンガーに多大な影響を与えています。代表的なシンガーにPINKAmy Winehouseなどがあげられます。サイケデリック漂う日本のバンドGLIM SPANKY(グリム・スパンキー)もジャニス・ジョプリンの「Move Over」をカバーしていますね。


MOVE OVER by Janis Joplin

CMでも使われていた有名な曲で、ジャニス・ジョプリンを代表する名曲です。

ちなみにGLIM SPANKYのカバーは以下の動画です。こう聴くとGLIM SPANKYのボーカル平尾レミの声って素晴らしい。。。

ベンツが欲しいと言い残した短い生涯

ジャニス・ジョプリンは1943年に産まれました。幼い頃はBessie Smith(ベッシー・スミス)やエタ・ジェームズ(Etta James)などのブルースを聴いて育ち、地元の聖歌隊で歌う日々。歌が大好きな普通の少女だったのです。

ジャニス・ジョプリンの圧倒的な歌唱力はこの聖歌隊での唱法が活かされているのかもしれませんね。

ジャニス・ジョプリンは大学を中退して、シンガーになるためにサンフランシスコに1人旅立ちます。そこで参加したバンドでレコードデビューを果たし徐々に頭角を現し始めます。この頃にはドラックに手を出し始めたとか。。。

その後もバンドを変えながら活動し、ウッドストックなどの大きなフェスにも参加。ヒッピーを代表するアーティストの1人となりました。

しかし、1970年(27歳)にヘロインの過剰摂取でこの世を去ります。とても短い人生ですが、多大な影響を与えた素晴らしいアーティストです。死後に発表されたアルバム「パール」では、「ベンツが欲しい」という曲がアカペラで収録されています。完成する前に亡くなってしまったのです。

派手な外見とは真逆の繊細な心

ジャニス・ジョプリンといえば、ファッションアイコンでもありました。ヒッピー文化を象徴するフレアパンツやボヘミアンを感じるスカーフ、首回りにはビーズを施した多数のネックレス、ふわふわヘアーに丸メガネと、ヒッピームーブメントの中でも独特なセンスを持ったファッションをしていました。

ヒッピーを象徴する派手なファッションです。

しかし、その派手さとは裏腹にとても繊細な心を持っていたとも言われています。高校では他の生徒に馴染めず、孤立していたのです。高校の同窓会に出席した時の映像が残っているのですが、その時のジャニスは孤立し、ひとり孤独な表情を浮かべているのです。

一見派手で細かいことは気にしないような、イケイケな人生を歩んでいるように見えるのですが、実は心に深い悩みを抱えていたのです。それが辛かったのでしょうか、孤独から逃れたかったのでしょうか、ヘロインや覚せい剤に手を出してしまうのです。


Janis Joplin – Me & Bobby McGee

一番好きな名曲。めっちゃかっこいい!

ジャニス・ジョプリンの残した名言

・自分で自分が信じられなくなるようなことをしてはダメ。あなたのすることがすべて、あなたそのものなのよ。

・あなたはあなたが妥協したものになる。

・わたしはたった一つのことしかできない。それを自慢に思うことはあるけどさ。ただ、それだけなのよ。

私は60年代後半のロックが好きなのですが、この時代にこんなしゃがれ声を出す女性は他に知りません。ジャニス・ジョプリンが新たなロックの形を作ったと思います。

この圧倒的な個性、そして新たな創造。ジャニス・ジョプリンから感じるのは、

個性を貫き、ありのままを表現する。人と違うからこそ、新たな創造ができる。

ということです。

個性的がゆえに、学校では孤立してしまったジャニスですが、人と違うからロックの世界に名を残せたのです。